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東京高等裁判所 昭和53年(う)305号 判決

被告人 下田菊雄

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮五月に処する。

この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官杉村周二作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人川上眞足、同溝辺克己共同作成名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここに、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決は証拠の取捨選択ないし価値判断を誤つて、九月期における「まふぐ」の毒性やそれについての一般人ないしは「ふぐ」料理業者の認識に関する事実を誤認したばかりか、被告人は「ふぐ」の調理方法を修得したことはないのに、それを修得していたと認定したうえ、被害者らに提供した「まふぐ」の肝臓の量を誤まるなどして、被告人に結果発生の客観的可能性の認識がなく、したがつて結果回避義務も発生する余地がないとして、被告人に対し無罪を言い渡したのは重大な事実の誤認である、というのである。

そこで、原判決を検討すると、原判決は、所論指摘の事由により被告人の本件業務上過失致死傷被告事件につき無罪を言い渡していることが明らかである。

そこで、まず、本件の事実関係を検討すると、原審証人田上みよの尋問調書、木庭康、小山信代、小山絹江、佐藤栄子、高橋敏男、上松幸夫の司法警察員に対する各供述調書、小山信代、石田絹江、田上みよ、上松幸夫の検察官に対する各供述調書、医師木庭康作成の死亡診断書及び各診断書、河合博正作成の剖検記録、被告人の原審公判廷における供述及び検察官に対する各供述調書(以下、単に「被告人の供述」という)によれば、次の事実が認められる。すなわち、被告人は、調理師免許は取得していないが、長野県飯山市大字飯山一、一六六番地所在の有限会社「満月」の経営にかかる食堂「茶屋満月」の板前として、「ふぐ」料理を含む各種料理を調理して同店の来客にこれを提供飲食させる業務に従事していたものであるが、昭和四七年九月七日から同店従業員の慰安旅行で能登半島めぐりに赴いた際、同月九日輪島市の朝市に出向き、露天で「まふぐ」三匹(いずれも、大よそ、重さ約八五〇グラム、長さ約五〇センチメートルのもの)を購入するに当たり、売主の田上みよが「まふぐ」に包丁を入れ、その内臓、ことに、肝臓を取り除いてこれを放棄しようとするや、「そのきももくれ」といつて、同女に「こんなものを持つていつて、おら知らんぞ」といわれ、同行の右「満月」の経営者上松幸夫にも「大丈夫か」といわれたのに、「ふぐのことはよく知つているんだ」といつて、「まふぐ」の白身と共に右三匹の肝臓をビニール袋に入れてもらい、他の露天商で購入した「ふぐ」数十匹と共にこれを持ち帰り、「茶屋満月」の冷蔵庫にこれを保存しておき、翌一〇日ころ飯山市内の魚屋から仕入れた「あんこう」の肝臓と右「まふぐ」の肝臓とを薄切りにして同一容器に入れ、右冷蔵庫に貯蔵していたところ、同月一八日午後六時半ころ、同店に来店した高橋渡(当時二八歳)、小山信代(同二六歳)、小山絹江(同二二歳)の三名から「鉄ちり鍋」の注文を受けて、白菜などに右「まふぐ」の肝臓五、六切れを調理した「鉄ちり鍋」を提供したところ、小山姉妹は右肝臓一切ずつ位を食し、残りの右肝臓は高橋がほとんど全部食したこと、その直後、高橋は、口のしびれを訴え、帰宅後、おう吐するなどして、直ちに飯山市大字飯山八一六番地所在の飯山赤十字病院に入院し、次いで小山姉妹も同様の症状で同病院に入院し、同月一九日午前六時八分同病院において、高橋は「ふぐ」中毒症による心不全で死亡し、小山姉妹はそれぞれ四日間の入院加療を要する「ふぐ」中毒症の傷害を負つたことが認められ、この点に反する被告人の供述及び当審で取り調べた告発書添付の上松幸夫作成の事実書の記載はたやすく措信しがたく、被害者らが被告人の提供した「まふぐ」の肝臓を食したことにより右「ふぐ」中毒症の傷害を負い、ついに高橋は同傷害により死亡するに至つたものであることが明らかであり、当審における事実取調べの結果に徴しても前認定を動かすにたらない。もつとも、原判決は、被告人が「ふぐ」の調理方法を修得していた旨認定判示しているけれども、記録並びに原審及び当審で取り調べた証拠を検討しても、その事実を認めるにたりる証拠はなく、かえつて、被告人の供述によれば、被告人は、調理師の免許はなく、「ふぐ」料理業者のもとで修業した経験もなく、一七、八歳のころ、大阪にいたとき、「ふぐ」料理を食して関心を持ち、調理師が「ふぐ」を調理するのを二度位見せてもらつただけで、他に「ふぐ」の調理方法を修得する機会はなかつたことが認められ、この事実に、後記認定の「ふぐ」の毒性に関する被告人の認識、程度等を勘案すると、被告人が原判示のように「ふぐ」の調理方法を修得していたものとは到底断じがたい。また、原判決は、被告人が被害者らに「鉄ちり鍋」として「まふぐ」の肝臓を提供する以前にも「茶屋満月」の従業員や来客に同肝臓を食させたが何ら異常はなかつた旨認定判示しているけれども、記録及び原審で取り調べた証拠を検討しても、右従業員や来客が「まふぐ」の肝臓を現実に食したとする確たる証拠はなく、かえつて、当審証人上松幸夫こと上松永林、同望月いすず、同高橋敏男の各尋問調書によれば、「まふぐ」の肝臓は食していないことが認められるから、この点に反する被告人の供述はたやすく措信しがたく、原判決の右認定は誤りであるというのほかはない。更に、原判決は、被告人が被害者らに提供した「まふぐ」の肝臓は一切れ七グラム位のもの三切れであつた旨認定判示し、これにそう被告人の供述があるけれども、小山信代、小山絹江の司法警察員に対する各供述調書によれば、被害者らが「茶屋満月」で提供された「鉄ちり鍋」には、長さ五ないし七センチメートル位、幅三センチメートル位の黄土色の粉つぽい肝臓のような味のものが五、六切れあり、後日「ふぐ」の肝臓を確かめたところ、右粉つぽい肝臓のようなものは後日確認した「ふぐ」の肝臓と同じものであつたことが認められ、この事実に、前認定の被害者らの食した肝臓の量及び「ふぐ」中毒症の症状、程度等を勘案すると、被告人が被害者らに提供して食させた「まふぐ」の肝臓は、長さ五ないし七センチメートル位、幅三センチメートル位のもの五、六切れであつたものというべく、この点に反する被告人の供述は措信しがたく、原判決の右認定判示は誤りであるというのほかはない。

そこで、「まふぐ」の毒性につき検討すると、原判決の引用する谷巖著作「日本産フグの中毒学的研究」によれば、その資料となつた「ふぐ」の採集標本数、採集日時及び場所、採集標本の成魚、幼魚などの区別から見て、九月期の「まふぐ」の肝臓の一般的毒性を判断する根拠としては必ずしも十分なものと認めがたいけれども、しかし、同研究は「ふぐの毒性が個別的に著しき差異があつて、同じ時、同じ場所で、漁獲された同じ種類のフグについて検査しても毒性が著しく相違する」として、「フグの内臓、殊に卵巣、肝臓及び腸を絶対に使用せざること」と結論していて、原判決のいうように「まふぐ」の肝臓の毒性の頻度は低いとはいつていないのみならず、原審鑑定証人神津公の供述及び同人作成の各鑑定書によれば、昭和四七年一一月一〇日輪島市の朝市で購入した「まふぐ」の肝臓一〇検体につき、「マウス」を用いて、毒性判定試験を行つた結果、一〇検体中九検体に明らかな毒性が認められ、更に右一〇検体のうち五検体について「ふぐ」毒定量試験を行つたところ、三検体に、人を死傷に至らしめる可能性のある七、〇〇〇単位(単位とは臓器一グラムが殺しうる「フランス・マウス」のグラム数で毒力を表わし、七、〇〇〇単位とは臓器一グラムで七、〇〇〇グラムの「マウス」を殺しうる毒力を有することを意味する)を超える毒力のあることが判明し、また、右毒定量試験の対象となつていない他の五検体についても、これを「マウス」に投与して実験した結果は、その死亡までの所要時間が、右毒定量試験の結果七、〇〇〇単位を超える毒力の検出されたものを投与した際の「マウス」の死亡所要時間よりも明らかに短いものが四検体存在したことが認められ、以上要するに「まふぐ」の毒性については、全体的に個体差が大きく、臓器間の毒性にも大きなばらつきが見られ、その毒性の有無を個別的に判定することは不可能であるから、一般的には「まふぐ」の肝臓は有害とみなしてよく、したがつて、「まふぐ」の肝臓は絶対に食しないことが「ふぐ」中毒防止の要ていであると解され、当審における事実取調べの結果に徴しても、これを首肯することができるのであつて、ことに、当審証人河端俊治の供述によれば、「ふぐ」毒の成分は「テトロドトキシン」であつて、猛毒であり、この毒は「ふぐ」の卵巣、胆のう、脾臓、肝臓、胃腸等に含まれ、有効な解毒方法はなく、九月期の「まふぐ」の有毒性は高いことが認められ、原判決のいうように九月期の「まふぐ」の肝臓の有毒性が希有に属するものとは到底認められない。そして、原審証人田上みよ、同上松幸夫、当審証人河端俊治、同高橋敏男、同望月いすず、同水沢秀光、同坂下繁、同上松幸夫こと上松永林、同宮崎登、同福住元一、同川崎光宣の各供述によれば、「ふぐ」料理業者及び一般の人々においても、ときに「ふぐ」中毒死傷の事実を報道などで知り、ところによつて「ふぐ」の取扱いに関する条例等の制定実施されていることや、「ふぐ」毒に関する一般的知識等から、「ふぐ」の肝臓を食する者があるにしても、「ふぐ」の内臓に毒がありこれを食すべきでないと認識していることは一般公知の事実と認められ、この点に反する当審証人久保田勝彦の供述はたやすく措信しがたいうえに、現に、被告人が輪島市の朝市で「まふぐ」の肝臓を入手するに際しても、田上みよ、上松幸夫らが被告人に「大丈夫か」などと注意を喚起している前認定事実をもあわせ考慮すると、原判決のいうように「ふぐ」の「毒力の存在が希有であるということは多くの場合肝臓を食したとしても無事に終つているであろうから肝臓が有毒なこともあるということは一般には知られていないであろう」とする判断は独自の見解であつて、到底是認しえないところであり、「まふぐ」の内臓、ことに、肝臓は絶対に食しないことが「ふぐ」中毒防止のために必要不可欠であり、したがつて、これを食するときは、「ふぐ」中毒に陥るおそれのあることは一般に十分予測しうるところである。

そのうえ、被告人の供述によれば、被告人は、中学生のころ「ふぐ」には毒があると教えられてその有毒性を知り、更には、一七、八歳のころ、大阪で調理師が「ふぐ」を調理するのを二度位見たとき、その調理師から、内臓に毒があるから内臓はきれいに取らなければいけない、と教えられ、その有毒性を再確認したが、内臓のどの部分が有毒かは知らなかつた、肝臓も内臓の一部であり、毒かも知れないと思つて、これまでは「ふぐ」を調理しても、「白子」を除く他の内臓は来客に提供したことはなかつたが、朝市で肝臓を見たとき、非常においしそうに見えたので、毒は大したことはなく、食つて食えないことはないと考えて、これを求めた、猛毒であるとは気がつきませんでした、と語り、被告人の右供述が本件発生後の弁解であることなどをも勘案すると、被告人は、「ふぐ」の内臓の有毒性を十分認識していたものの、内臓のどの部分が有毒かについては確たる認識がなく、肝臓が内臓の一部であつたにしても、その毒力が強力であつて絶対に食用に供してはならないというほどには考えていなかつたことが認められ、この点に反する被告人の原審及び当審公判廷における供述はたやすく信用しがたい。したがつて、長野県に「ふぐ」の取扱いに関する条例等の制定はなく、他地で「ふぐ」の肝臓を食することがあつたにしても、被告人としては、「ふぐ」の内臓の有毒性を十分認識していたのであるから、これを食させるときは、本件のごとき「ふぐ」中毒症発生の予見可能性があつたことは明らかであり、原判決の認定するようにその予見可能性が全くなかつたとはいえない。してみれば、「茶屋満月」の板前として同店の来客に「ふぐ」料理を含む各種料理を調理して飲食させる業務に従事していた被告人としては、「ふぐ」料理に関する専門的知識はもちろんその技術も修得していないうえに、「ふぐ」の内臓の有毒性を十分認識しながらも、そのどの部分が有毒かは知らなかつたし、かつ、それを判別する能力もなかつたのであるから、来客に提供する「ふぐ」料理を調理するに当たつては、危険な内臓を除去するなどしてその有毒性のないことを十分調査確認したうえ、来客に提供し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意業務があるものというべきである。しかるに、被告人は、漫然、「まふぐ」の内臓を来客に提供しても差しつかえないものと軽信し、「まふぐ」の内臓の一部である肝臓五、六切れを「鉄ちり鍋」に調理して被害者らに提供し、同人らにこれを食させて同人らに死傷の結果を生ぜしめたことは前認定事実に徴し明らかであるから、被告人に本件業務上過失致死傷の責があるというのほかはなく、したがつて、被告人にその責がないとして無罪を言い渡した原判決は、事実を誤認したものとして、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い被告事件(なお、検察官は、当審において、訴因変更((予備的追加))の請求をしているけれども、その内容は、本来の公訴事実を具体的、明確にしたにとどまり、いわゆる訴因の予備的追加とは認められないので、両訴因を総合して判断することとする)につき更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、長野県飯山市大字飯山一、一六六番地所在の食堂「茶屋満月」の板前(無資格)として、「ふぐ」など各種料理を調理して同店の来客に提供する業務に従事していたものであるが、昭和四七年九月一八日午後六時三〇分ごろ、右食堂において、高橋渡(当二八年)、小山信代(同二六年)、小山絹江(同二二年)の三名の来客に「鉄ちり鍋」と称する「まふぐ」の料理を提供するに際し、「まふぐ」の内臓の一部である肝臓には毒物である「テトロドトキシン」が多量に含有されている場合があつて、これを食すると「ふぐ」中毒を惹起する危険があり、被告人も「まふぐ」の内臓が有毒であることを知つていたものの、「ふぐ」料理に関する専門的知識、技術はほとんどなく、その毒の有無、程度などを判別する能力もなかつたのであるから、「まふぐ」の内臓の一部である肝臓を調理して客に提供することは厳に差し控えるべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然これを提供しても差しつかえないものと軽信して、右有毒物質を含有する「まふぐ」の肝臓数切れを「鉄ちり鍋」に調理して来客の高橋ら三名に提供してこれを食させた過失により、高橋に対し「ふぐ」中毒症の傷害を負わせて、翌一九日午前六時八分ごろ、同市大字飯山八一六番地所在の飯山赤十字病院において、右傷害による心不全のため死亡するに至らしめたほか、小山信代及び小山絹江の両名に対しそれぞれ四日間の入院加療を要する「ふぐ」中毒症の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人らの主張に対する判断)

弁護人らは、被告人には本件事故の結果発生に対する客観的予見可能性がなかつた旨主張するけれども、その然らざることは先に判断したとおりであるから、これをここに引用する。

なお、記録並びに原審及び当審において取り調べた証拠をしさいに検討しても、本件の捜査、公訴の提起等に司法の公正を疑わせるにたりる違法行為があつたことを認めるに足りる証拠はない。論旨は理由がない。

(法令の適用)

被告人の所為は、業務上過失致死傷として被害者ごとにそれぞれ刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当し、以上は一個の行為で三個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により最も重い判示業務上過失致死の罪の刑により処断すべきところ、被告人は、本件の結果発生についての予見可能性があつたのに、多量の「まふぐ」の肝臓を被害者らに提供し食させて「ふぐ」中毒症の各傷害を負わせ、同傷害により働き盛りの男性一名を死亡させるという重大な結果を生ぜしめたものであつて、その過失はもとより結果も重大であり、犯情芳しくなく、その刑責は軽視しえないところであるが、他方、「ふぐ」の肝臓を食しても必ず「ふぐ」中毒症に陥るとは認められず、これを食するところもないわけではなく、また、長野県下には「ふぐ」の取扱いに関する条例等の制定はなく、「ふぐ」の取扱いに関する指導監督等も十分とは認められず、本件事案は不遇にもその一例であること、被害者の遺族及び生存被害者らに対しては当時の雇主を通じるなどして被害弁償ないしは慰謝の方法がとられていること、被告人は、平素まじめに勤労し、同種前科はなく、今後の更生を誓い、調理師の免許も取得したこと、その他被告人の年齢、経歴、家庭の状況など被告人に有利な又は同情すべき情状を十分しんしゃくしたうえ、所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内において、被告人を禁錮五月に処し、刑の執行猶予につき刑法二五条一項を、原審及び当審における訴訟費用を負担させないことにつき刑訴法一八一条一項但書を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新関雅夫 金子仙太郎 下村幸雄)

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